上信自動車道は、2023年度に吾妻西バイパスの開通を予定しており「完成に向けて職員一丸となって全力で向かっていきたい。地域の方からの期待も高く、一日も早く開通させたい」と意気込む。八ッ場ダムに対しては「20年度に完成し、ダムを中心とした地域振興施設も本格的な運用が始まった。観光産業への大きな期待とともに安定した集客、収入が見込めるよう、地域と連携して取り組みを進めたい」と話す。
長野原町に在住しており、上信自動車道開通の効果を実感している1人だという。「八ッ場ダムにより大きく変化した地域の状況を思うと、良くしていかなければならないと地元住民の一人として強く感じている」という。
倉渕ダム建設事務所に所属した経験があり「残念ながらダム事業は中止となったが、付け替え道路の工事は完了した。どうしたら早く道路を完成させられるのかを事務所の全員で協議を重ねた。その時に役職関係なく同じ目的に向かって事業を進めていく楽しさと、職員が連携することの大切さを学んだ」と当時を振り返る。
また、04年の中越地震、11年の東日本大震災の際には震災派遣として現地に向かった。中越地震当時は災害派遣などの体制も整っておらず「金曜日に突然、派遣の話があり月曜日に新潟県庁へ行く事と、宿泊先は柏崎市ということだけ伝えられて現地に向かった。新潟県庁で初めて小千谷市維持管理事務所への派遣を知った」と当時の厳しい状況を振り返った。「精神的にも肉体的にも大変だったが、携帯のガスコンロを持ち、食事だけは暖かいものを食べようと務めた」と話す。
東日本大震災の時は「中越地震から体制が改善され、福島県須賀川市での対応を事前に知らされ被災地調査に当たった。また、派遣期間中に沿岸部への視察により群馬県にはない津波の脅威と、原発による立ち入り規制の状況も体験し放射能の恐怖も感じた」と話す。
倉渕建設事務所の経験から職場に来たくなるような雰囲気づくりに尽力する。若手の職員に対しては「上信自動車道は大きな橋梁など、なかなか携われない仕事が多い。大変だとは思うが、貴重な体験だと考え皆で協力していきたい」と励ます。
建設産業に対しては「上信自動車道の完成には、事業者の協力が必要不可欠。地域の守り手として、また、社会経済活動には欠かすことのできない存在であり、これからも力を貸していただければ」と話す。
地元では長年、少年野球の監督を務めている。「教え子が大人になって、県庁や業者に就職することもあり、成長していく姿を見たり、一緒にお酒を飲む楽しさができた」と笑顔を見せる。