労働災害の発生状況について、毎年公表されています。死亡者数や、「墜落・転落」といった事故の型別、業種別などの統計です。厚生労働省の発表によると、令和5年の全産業の死亡者数は755人と過去最少でした。内訳をみると業種別では建設業が一番多く、223人(ただし前年比58人、20・6%減)でした。関係者の懸命の努力もあり、労働災害の件数はピーク時より減っているものの、残念ながら根絶には程遠い状況にあります。業種別の建設業で、元請か下請かについては明確になっていませんが、大部分は現場の最前線で働く下請の専門工事業の方ではないでしょうか。
この課題に対し国レベルでは、過去から逐次労働安全衛生法(安衛法)及び規則などの改正を実施するとともに、業界全体では、建災防の活動が強力に進められてきました。現場レベルでは危険予知活動の実施やヒヤリハット事例の共有といった対策などを行っています。筆者が過去訪れた多くの建設現場でも、安全が現場の最重要課題であり、それぞれの現場で創意工夫を凝らした対策がなされていました。そこでは、現場のリーダーである現場代理人の役割が非常に重要だと言われています。
社会心理学者の三隅二不二が約60年前に提唱した「PM理論」では、集団組織のリーダーの行動特性を理論化しました。「P」はPerformanceすなわち目標達成・課題解決機能、「M」はMaintenance、集団維持機能を意味します。この考えは別名「パパ、ママ理論」と呼ばれることもあります。リーダーには、時には、父親のごとく厳しく指導し目標達成に向かう力と、母親のように組織の皆を温かく支えるという2つの面が必要ということです。
この理論は、筆者が考えるに、本質的には組織は家族だという考え方がベースにあると理解しています。例えば「現場で働く人はみんな家族」という認識、代理人が一人でパパ、ママの役割を果たす、あるいは代理人を含む二人がその役割を分担し、現場で働く方々を自らの子供と思って仕事をすれば、大分、違ってくるのではないでしょうか。仮にかけがえのない存在たる我が子が安全面で危険な行動をとったら、父親は厳しく叱り、母親は我が身をかけて深い愛情で包み込みます。また、日々の我が子の体調管理にも親は最大限の注意を払うはずです。
例えば高層建築の現場だと、生産性向上、効率性の要請から同時並行でいろいろな工程が同時期に動いている場合があります。ピーク時には数百人以上が現場で働いているとも言われています。大事なものを造っている現場に、誰が入ってきているのか、よく分かっていないことも多いのが実態だと思われます。重層下請け構造のもと、このような現場で働く大勢の人々にとっての、パパ、ママの役割はいったい誰が果たしているのでしょうか。また少人数の現場でも、社会全体の人間関係が以前より希薄と言われている昨今、現場の家族意識をどう持って仕事を進めていくのか、という新しい命題が生まれています。
2024年4月から時間外労働時間に罰則付き上限規制が設けられ、働き方改革が本格化しました。この先、ともすれば効率性重視といわれる状況を脱し、安全、品質を最優先にその上で効率性を推進する新たな考え、仕組みを、現場を含め会社全体で構築していく必要があります。近年ものづくりの現場特に製造業で相次ぐ効率性重視のため発生した不祥事、重大ミス等が、建設の世界で大きな広がりになることを防ぐためにも。今もみんなが「真面目に働こう」「良いものを造ろう」という意識を持っているこの時に。
特に現場で働く人の命、生活を守り、良い品質のものを社会に供給するためには、単に労働時間や勤務シフトをどうするかといったことだけではなくて、一人一人が持つやりがい、誇りを発揮して頂き、さらに皆の一体感を醸成することが基本だと思います。その上でIT化を含めた新たな潮流を踏まえた新しい仕事のやり方全体を、考えてみる必要があります。
さらに加えて仕事時間以外のことにも思いをはせ(当然プライバシーは大前提)、現場を考える事も必要かも知れません。最近、「現場で働く若者が、働き方改革により平日夕方の5時に仕事が終わったとして、その後、例えば恋人とデートできるだろうか」という話を聞き、考えさせられました。背広を着て働いている内勤の人は汗をかかず、働いている服でそのまま、レストランにも行けるでしょう。一方、現場服ではなかなかそうもいきません。仕事を終えて一旦帰宅し、シャワーを浴びて着替えてから出掛けることになるでしょう。この状況は、実際かなり無理がある、との事でした。どうしたら克服できるのか。また山奥のダムの建設現場で休みの2日どう過ごすのか?現在も宿舎にはWi‐Fi設備は当たり前、さらにゴルフ大会、バーベキューなど現場ごとにいろいろ工夫しておられます。
現場の家族意識醸成が、皆で一人一人を守ろう、力を合わせて立派なものを造ろうという強い思いを生むはずです。
(このテーマ続く)
※寄稿者・佐藤直良氏…東京工業大学非常勤講師(元国土交通省事務次官)