県河川防災センターの望月誠一代表理事が16日、甲州市立勝沼図書館で講演会を開き、「日川の土砂対策と勝沼砂防堰堤の歴史的意義」をテーマに語った。勝沼CATVの25周年記念事業の一環。地元住民ら約80人が集まり、地域の河川・砂防整備について学んだ。
望月代表は早川町出身の83歳。建設省(現国土交通省)関東整備局、同省工事事務所副所長などを歴任。国の河川・砂防施策の立案などに携わっており、豊富な知識・経験を生かし現在も河川関連事業の推進に尽力している。
講演では、日本で初めて河川・砂防整備が始まった頃について解説された。望月代表によると、河川法・森林法は1896年(明治29年)、砂防法はその翌年に制定されたものの、それに基づく「第1次治水計画」が策定されたのは、約14年後の1911年だった。その後、同計画に基づく第1期整備箇所19河川が選ばれ、その一つが富士川だった。
同年、全国初の河川・砂防工事に着手したのが富士川流域の「日川(事業箇所名・ニッカワ)」。同治水計画策定前年の1910年、台風により荒川や塩川に甚大な被害が出たこと、また当時の首相、桂太郎氏が東京へ戻る際、台風により迂回を余儀なくされ、被災した甲府を通ったことが早期着工につながった。
勝沼地域の砂防堰堤については、まず5基を計画。「勝沼」「横吹」「長垣」「鶴瀬」「駒飼」で、1915年(大正4年)着工、1925年までに完成した。それまで堰堤の主な材料は石だったが、これら堰堤には当時画期的だったコンクリートを使用した。関東大震災後、「震災砂防」という新たな事業により、日川流域にさらに8基の砂防建設を計画。「初鹿野」「丸林」「水野田」「矢方平」「一ノ畑」「山口」「門井沢」「棚小屋沢」で、全て1931年までに完成した。
望月代表は「参加者へのアンケートで『砂防の歴史を詳しく教えてもらえるような機会がない。また開催してほしい』との声があった」とし、今後も河川・砂防整備の歴史を通じ、砂防などハード整備への理解を深めてもらいたい考え。