足利市教育委員会は、国指定史跡「樺崎寺跡保存整備事業第2期園地周辺整備計画」(樺崎町1252-7)をまとめた。樺崎川東側に雨水調整機能を併せ持つ多目的広場の整備を決定。2024年度は基本設計、25年度は実施設計に移行する。施工期間は27~31年度の5年間に設定し、芝生広場や園路工一式を整備する。32年度以降は寺院の軌跡を紹介するガイダンスセンターの建設に着手する。
鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第(鑁阿寺文書)によると、樺崎寺は国宝鑁阿寺本堂を開基した足利義兼が文治5年(1189年)に奥州合戦の戦勝祈願で創建したとされる。源頼朝の義兄弟であり、鎌倉幕府草創期の有力御家人。寺は鎌倉時代初頭から中世に繁栄。
鑁阿寺北東約4・5㎞の八幡山を背に東面に寺域が広がる。市教委は1984~99年度の間、16次にわたる発掘調査を実施。古文書や絵図に残る供養石塔跡、堂舎跡、僧坊跡、浄土式庭園跡ほかが出土。寺域は東西約200m、南北約300mの範囲に及ぶ。
これまでに発掘調査、敷地の公有化、樺崎川西側史跡の主要部分の復元的整備がほぼ終了。樺崎川東側は西側に比べ主要な遺構が確認されておらず、多目的広場を整備し一帯の雨水調整機能を兼ねる。整備方針は保存整備指導委員会の意見を尊重した。
2024年度の基本設計は景観プランニングに委託。芝生広場、透水性舗装周回園路、遺構標示建物、集水桝、遺構説明板、施設案内板、あずまや、ベンチ、植栽帯、多目的花壇、ソーラー照明、散水栓を配す。出入り口は西側市道樺崎町41号線側に設置する。
32年度以降はガイダンス施設用地の造成、施設建設、樺崎川西側の北側伽藍地区に建つ既存の樺崎集落研修センターの移転、史跡北部の整備工事を予定。ガイダンス施設については歴史系展示施設整備構想があり、整合を図りながら内容を精査する。
01年1月、国史跡に指定された。保存整備の第1期は05~07年度の3年間、第2期の園地整備は08~18年度の11年間、史跡北部整備は19~23年度に5年間を掛けた。明治政府の神仏分離令により樺崎寺は廃寺となり、境内の八幡宮のみが残った。
義兼は足利氏2代目。岩手県平泉の中尊寺に象徴される華麗な寺院に触発された御家人たちは、自らの領地に浄土庭園型の寺院を建立したといわれる。樺崎寺跡の様子は時期によって変遷しており、南北朝から室町時代の池の姿と同じように復元している。
園池修復の際は遺構面を不織布保護シートで覆い、厚さ約15㌢を盛り土。粘土に護岸用の石を打ち込み、当時の姿に近い形の復元を試みた。市北東部の山間地に立地し、北関東自動車道足利インターから車で約3分の距離。樺崎工業団地に近接する。