コラム

2002/12/13

忠臣蔵三百年(水・KK)

2002.12.13 【忠臣蔵三百年】

▼元禄15年(1702年)12月14日、大石内蔵助ら赤穂浪士が吉良邸に討ち入ってから今年で300年を迎える。日本史上でこれほど人々に広く知られた事件も少ない。現代でも映画やテレビ、小説、実録本が無数に提供され、受け手側も飽きることなく今日まで観賞してきた

▼明治42年(1909年)、九州日報社長の福本日南の『元禄快挙録』は大石の首尾一貫した主君への忠誠心、自己犠牲の精神を高く評価し、日露戦争後の国家主義思想の高揚という社会的背景の中で大ベストセラーとなった。一方で、大正6年の芥川龍之介の『或日の大石内蔵助』や同15年の野上弥生子の『大石良雄』は周りの人間に影響されやすい、人間的な弱さを合わせもった等身大の人物として内蔵助を描いている

▼クライマックスの討ち入りの際、吉良上野介の隣に住む旗本の土屋主税は塀ぎわに高提灯を掲げて吉良邸を照らし浪士たちを支援した。当時は隣同士の旗本家は何か事があると助け合う隣組のようなシステムになっていた。土屋家はもと上総久留里藩主だったが些細なことから2万石の大名から3千石の旗本に落とされていた。主税の浪士たちに対する配慮は幕府に対する割り切れなさへの彼なりの抵抗だったのだろう

▼近年、従来型の社会システムが行き詰まるなかで、人々の忠臣蔵に対する関心、評価も変わりつつあるように思われる。赤穂浪士の仇討ちの核心にあるのは「忠義」という観念ではなく、社会的に弱い立場に置かれた者が自分の正しさや価値感を証明したいと願う人間の根源的な衝動である「意地」であるように。これから先、忠臣蔵はどのような型で語り継がれていくのだろう。(水・KK)

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