コラム

2003/03/28

知識よりも考える時代(水・KK)

2003.03.28 【知識よりも考える時代】

▼残り数日で3月も終わり桜前線の北上とともに希望に胸膨らむ入学、進級の季節を迎える。華やいだ空気を背に、残念ながら希望が叶わなかった受験生にとっては来春に向けての闘いがすでに始まっているだろう

▼筆者の中1の娘の社会科テスト問題に「最近読んだ新聞記事のなかで興味をもったニュースについてくわしく述べよ」という設問があった。そのニュースのどんなところに興味をもったのか、そしてさらに自分なりの感想を求められている。筆者が中学生だった30年前には考えられなかった傾向だ。高校入試、大学受験でもそういった類の問題にお目にかかった記憶はない

▼明治政府の富国強兵、殖産興業の時代は、まず知識をもっていることが大切と捉えられた。新しい知識、進んだ知識を吸収することこそ文明であり、文明が富と繁栄のもとになると考えられていた

▼戦後、日本が再出発した時期、教育の民主化が始まり軍国調のものが否定され、国定教科書から新しい検定制の教科書に変わった。しかし教育の基本は個人の独創性、創造性を伸ばすよりも相変わらず知識の修得に力点が置かれた

▼近年の試験問題の変化は、多様化する社会のニーズによるのでは。高度成長時代のように物を作れば売れた時代は終わり、いかに売れる物を企画・開発できるかがその企業の興亡を決する。「どの大学を出たか」よりも「何ができるか」が問われる時代である。知識はあっても自ら進んで考えよう、行動しようとしない「指示待ち族」を抱える体力は企業にはない。市場調査・分析・商品化の能力を身に着けるための記述問題の増加と言えなくもない。(水・KK)

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