コラム

2003/11/08

東京湾第3海堡のこと(本・SY)

2003.11.08 【東京湾第3海堡のこと】

▼東京湾の出口の部分、浦賀水道航路西側に暗礁化して船舶航行に危険な土木構造物がある。「東京湾第3海堡(かいほう)」と呼ばれるその構造物は明治25年に着工、29年もの歳月をかけて大正10年に竣工した。東京湾に侵入する敵国の艦船を射撃するための砲台を設置した海上要塞である

▼東京湾口部の海流の激しい所にあたるため、埋立工事は難航した。何人もの殉職者を出して、膨大な予算と労力を投入して完成した2年後、関東大震災により「東京湾第3海堡」は崩壊、構造物の一部を残して水没した

▼完成当時は、航空機をはじめ、軍事技術が急速度で発達していた時期で、海上砲台はすでに前時代的な兵器となっていた。しかし、水深40mの海の埋立は世界でもトップクラスの土木技術で、首都ワシントンの湾口部にやはり海堡建設を計画していた当時の米国陸軍が、技術情報の提供を日本に依頼してきたほどであった

▼現在、東京湾には、この第3海堡のほかに、富津岬沖に第1海堡と第2海堡がある。両海堡は大震災に耐え、今も健在である。暗礁化した第3海堡の撤去工事は平成12年12月から始まった。19年の完了に向けて工事が進んでいる。建設にも30年近い年月がかかったが、解体撤去にも約7年の工期を必要とする大工事である

▼東京湾にこの「記念碑」的土木構造物があることはまったく知らなかった。10月に開催された関東地方整備局の事業評価委員会で知った次第である。同局が発行したパンフレットに、関東大震災の日から8日後に上空撮影した第3海堡の写真が載っている。完成後まだ2年というのに廃墟だ。今も伝え聞く大震災の凄まじさを物語る悲しい「記念碑」である。(本・SY)

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