コラム

2004/05/22

常識とはツタである(松・JI)

2004.05.22 【常識とはツタである】

▼ある新聞で 町田康著「パンク侍、斬られて候」(マガジンハウス)の書評を目にした。この作品はパンクであり、パンクとは無軌道だとある。また同じ新聞の求人欄で、ある会社が「経験は問わないが常識は問う」とのコピーを載せていた

▼この「パンク」「常識」の2語から思い出すことがある。学生の頃、まさにパンクという音楽に夢中になった。騒々しい音楽と反社会的な言動が魅力で、確かに無茶苦茶というに相応しい。当時、自主制作でレコードを出していたバンドの連中と酒を飲んだことがあった。彼らの一人が筆者に「常識とは何か」と問うてきて返答に困った記憶がある。後日、哲学を学ぶ友にこの話をすると「常識とは甲子園球場のツタである」と訳のわからぬ答えが返ってきた

▼「常識」を広辞苑で調べると「他人と共有する知識」とある。他者とのコミュニケーションにおいては必需品といえるが、いちいち知識の共有具合を確認することはない。暗黙の了解として存在しているようにも思う。一方で常識は排他性も併せもつらしい

▼山田富秋著「日常性批判」(せりか書房)によると、常識は支配や差別を生むとある。知識を共有しない、逸脱するものを排除する傾向があるらしい。ある日突然、共有知識が異なるという理由で排斥したりされたりということもあるのだろう

▼インターネットのあるサイトで新入社員向けの「社会人の常識」というものを見つけた。そこでは「茶髪は認められるか」という項目について議論していた。どうやら、こんなことを常識かどうか話し合わなければならないような状況も現代においては常識なのだろう。(松・JI)

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