コラム

2005/06/23

木喰上人(もくじき)(甲・TH)

2005.06.23 【木喰上人(もくじき)】

▼山梨県の身延町にある町営資料館「木喰の里微笑館」を訪ねた。江戸時代、全国各地に手彫りの仏像「微笑仏」を刻んだ「木喰上人」の資料館である。木喰上人は、「まるまると まるめまるめよ我が心 まん丸丸く 丸くまん丸」という歌を詠んでいる。この歌は、小泉首相が内閣メールマガジンに掲載していたことでも有名

▼木喰上人は、14歳の時、「畑仕事に行く」と言い残して出奔(家出)、江戸に向かい、22歳の時に相模国(神奈川県伊勢原市)の大山不動で出家した。「木喰」と名乗るようになるのは45歳の頃。この年、常陸国(茨城県水戸市)の真言宗羅漢寺で、師の木食観海から木食戎(もくじきかい)を受けた

▼木喰戒というのは五穀(米、麦、アワ、ヒエ、キビ)あるいは十穀(五穀とトウモロコシ、ソバ、大豆、小豆、黒豆)を絶ち、山菜や生の木の実しか口にしないという厳しい戒律である

▼56歳から全国を旅し、北は北海道の有珠山の麓から、南は鹿児島県まで、文字通り日本全国にわたり各地に仏像を残している。確認できる最初期の仏像は61歳の時に造られたもの。仏像彫刻家としてのスタートは61歳で、30年後の91歳の時まで制作を続けていたことが、遺品から確認できる

▼木喰上人の仏像は、ノミの跡も生々しく型破りなものであるが、微笑を浮かべた温和なものが多く、眺めていても全く飽きがこない。現代人は毎日時間に追われ、見えない何かに焦り、苛立ち、心が歪んできている。木喰上人の彫刻家としてのスタートは61歳からだ。「人生、なにをするにしても遅すぎることはない。日々精進の積み重ね」と改めて痛感した。(甲・TH)

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