コラム

2005/09/03

武州蕨で興った剣道柳剛流(長・YK)

2005.09.03 【武州蕨で興った剣道柳剛流】

▼筆者が生まれ育った埼玉県南部の蕨という町は江戸後期、北辰一刀流と遜色のない門人数を誇った柳剛流(りゅうごうりゅう)という流派の本拠地があった。同市北町にある三学院というお寺には柳剛流の剣客たちの石碑もいくつかある

▼柳剛流というのは、剣術、薙刀、柔術などを合わせた実戦的な武術と言われ、剣術では相手の臑を払うのが特徴。司馬遼太郎は著書『燃えよ剣』わいわい天王の段で柳剛流を「武州蕨で興った様子かまわずの百姓剣術」とした。しかし百姓剣術が幕府講武所の剣術師範教授方に、柳剛流の松平上総介が選ばれるわけがない

▼その蕨では、昭和13年に奥田茂先生が第一蕨尋常高等小学校(現市立北小学校)で剣道の指導を始めた。戦後、剣道はGHQにより抑圧されたが、昭和29年には奥田茂、柴崎清作先生らが発起人となり蕨地区剣道連盟が発足した。奥田先生には筆者の母が女学生時代に薙刀を、筆者は子どもの頃に剣道の指導を受けている

▼昭和40から50年代に「少年剣道ブーム」が訪れた。火付け役は青春ドラマ「おれは男だ」である。ややもすると竹刀遊びになりがちだった風潮に『剣道とは…』と指導してくださったのが、奥田、斉藤、富沢先生らのほか諸先輩方である。ちなみに森田健作氏も奥田先生の縁籍にあたるとか

▼建設業で剣道と言えば、埼玉県のI社だろう。昨年の全日本実業団、今年6月の関東実業団でも敢闘賞(ベスト8)をとった。9月19日に日本武道館で開催される全日本実業団での活躍が期待される。なかなか元気の出ない建設業界だが、せめて剣道界で気を吐いてもらいたいものである。(長・YK)

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