コラム

2006/04/13

タブーは意識の差(さ・YW)

タブーは意識の差

▼タブーとは何か、それは敢えて心に思っても触れないようにすることとして誰もが敬遠する。しかし、それはタブーにすることで物事の本質が分からなくなりがちでタブーにしない方が良い方向に進むこともあるのではないか

▼少し前だが、映画のアカデミー賞の発表があった。ノミネートされた映画はもとより、今年話題になった映画には特徴がある。米国の差別、中東をめぐる石油利権、同性愛、宗教間の争いなどこれまで当事者間でしか分かりにくい神経質にならなくてはいけないテーマが多い

▼テロを題材とした実話「ミュンヘン」を観た。ミュンヘンには保険会社アリアンツの総会取材をはじめサッカー観戦など平成だけで数度訪れている馴染みの都市だけに観賞してみたのだ。感想は、テロとは体制への批判を言葉ではなく憎しみと血を流すことで表現する卑怯なものだと改めて分かったような気がした

▼しかし、タブーはタブーとせずに本音でぶつかり合い、むしろ積極的に解決に向って公に出してこそ見えてくるものがある。タブーにしてはいけないと強く感じる。タブーのままでは永遠に解決策は見つからないのだ。すべて信念に基づき行動を起こすときっと理解されると感じてならない

▼建設業界を得意先に抱える建設専門紙も長年談合など業者に不利になることは避けるといったスタンスになってはいなかったか。しかしそのことで本質から遠ざかり、むしろタブーとすることで自ら言い聞かせ、それに甘えていたフシがあったのは事実だ。この種のタブーに挑戦し業界の健全、より良い業界への主導こそ専門紙の役割と強く感じる。(さ・YW)

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