コラム

2006/10/16

見ぬふりは愛の欠如(さ・YW)


▼子どものころ読んだ本で、ナイチンゲールの伝記がある。幼いころで理解できなく、今になって分かったものがある。彼女は「愛の反対は知らんふりだ」とある席で述べたことだ

▼幼いながらも、「愛」の反対は「嫌い」と「憎しみ」などではと思っていた者にとっては理解が困難だった。その後少し成長すると、徐々に分かってきた。それは、親の目を引くためにわざといたずらをすると、「コラッと」怒られたりしたものだ。口を尖らせながらも心の中では楽しんでいた記憶がある

▼以前、あるテレビ番組でどういう人が良い人かというインタビューで、「道を聞きたくなる人」と答えた人がいた。筆者のことで大変恐縮だが、先日は1日に2回道を聞かれた。エピソードとして紹介する。ドイツでスウェーデンのブロンズヘアーの美人親子から日本人である私に「ハウプト・バーンホフ」と聞かれた。「中央駅はどちら」と「なぜ私に」と聞くと、「ユー・ルック・グッド」とのことだった。そう、「よさそうな人だから」と言われ少し恥ずかしかった

▼決して自分は聖人君子ではなく、人柄も良いとは自らジヤッジはしないが、困っている人に自らの知識の範囲で教えようとする心はあるのかなと感じている。知らんふりの逆だから「愛」だと言えなくもないが、そこまで自己満足する必要もない

▼ところで、災害などがあると、防災協定を締結し自らも危険な目に遭う建設業者は真っ先に復旧工事に取り掛かるなどし、身を粉にする。見ぬふりどころか、草刈などのボランティアやパトロールも行う。社会基盤整備や地域貢献への愛の証しだと尊敬されても良いはずだ。(さ・YW)

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