コラム

2006/10/27

島津義弘の決断(水・KK)


▼NHK大河ドラマ『功名が辻』もいよいよ佳境に入った。天下人秀吉の死後、諸大名は豊臣への忠義を貫くか家康の傘下に入るか、決断の分岐点に立たされることに

▼周囲が次々に勝ち馬に乗るべく実力者家康に接近するなか、山内一豊は律儀者らしく忠誠心ゆえ態度を決めかねていた。歴史の結果を知る者として「早く家康につけ」とそわそわしながらテレビ画面に釘付けになる

▼時流に乗るー今も昔も生き残るための必須条件だ。たとえ気乗りしなくても決断を迫られるときもある。勇猛で知られる薩摩の島津義弘。東西16万という大軍が対峙した関ヶ原の戦いで彼が率いたのは国元の事情からわずか1000人。参戦しても意味がないと思われる兵力だが、義弘にとって出陣は重要だった。次の政権を占う大事な合戦に存在感をアピールしておく必要があったからだ

▼戦いの中、千載一遇の時を待ち、わずかの手勢の島津隊は動かない。しかし西軍の敗北が決定的になった時点でその好機もなくなった。さらに退路を断たれて袋の鼠。勝敗が決した今、家康の東軍に立ち向かえば逆賊となり島津家は滅びる。義弘は東軍数万の敵陣中央突破という決死の脱出劇を決行した

▼勇猛果敢な行動を目の当たりにした家康は臆したのか、西軍に与した大名としては最高の領地を安堵した。家康に恭順の意を示しながらも一方で義弘は「いつでもやってやるぞ」と臨戦態勢を常に崩さなかった。硬軟とりまぜての外交と決して諦めないしぶとさには生き残りのヒントが隠されている気がする。関ヶ原は島津義弘にとって負けても勝った戦だった。(水・KK)

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