コラム

2006/11/02

その時代のヒーロー(松・HK)


▼右へ倣えの国民性をもつ日本ではスターやヒーローは作られやすいのではないかと、ふと思ってしまう。昨今の高校野球やボクシング、ゴルフ界の盛り上がりに圧倒されているのは筆者だけなのだろうか

▼しかしスポーツ界の人気のバロメーターにスターの存在は欠かせない。たった一人のプレーヤーの存在にファンは殺到し、視聴率は跳ね上がる。注目されない低迷する業界にとっては、この存在がのどから手が出るほど欲している。昨今は、メディアによって作られたスターとの評判も耳にするが、確かにスポーツ界の現状を憂いてのことではなく、数字を優先してのことである

▼戦後最長となる好景気が続いていると言われるものの、庶民の多くはその実感が持てずにいる。仕事や家庭で蓄積する鬱憤(うっぷん)を力強いヒーローが晴らしてくれる。そんな形で生まれたヒーロー像が昔からのものだった。日本の文化だろう

▼ただ人は正反対の敗者にも心を熱くする。競馬界が良い例で、圧倒的な強さを見せるディープインパクトを応援するとともに、負けても負けても念願の1勝を目指し走り続けるハルウララにも声援を送る。片方では他を寄せ付けない圧倒的な強さに憧れ、結果は伴わないが、ひたむきな姿に自分を重ねるのか、人は限りなく魅了される

▼メディアの発達や多様化した趣味・嗜好(しこう)を背景に、流行のサイクルが短くなっているように思える。ハルウララは勝利を味わうことなく引退してしまう。目標に向かって一途に走り続ける姿をどれだけの人がどれだけの間、瞼(まぶた)に焼付けているだろうと引退の報に思いを寄せた。(松・HK)

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