コラム

2007/09/26

読書の秋に想うこと(群馬・HM)


▼妻が現在、家の一室を使って子ども達を相手に塾を開いている。生徒は数人だが楽しく続けているようだ。読書の秋、という訳ではないが、最近生徒達に読書を勧めてみようと教室に本を置いてみた。しかし読まない

▼その読まないというのが、筆者らの感覚の読まないと違い、実は興味をしめさないのだ。小学4〜5年生になっても絵本のような本しか読めないという生徒もいるらしい。それでは国語の授業が大変だろうと心配になる

▼妻も読書は好きなので、本を『読まない』のではなく『読めない』子になって欲しくないと、ポイント制を設け、きまった量を読んだらプレゼントをあげるという方法を試してみた。結果は上々で、金額にすれば100円程度のプレゼントだが、子ども達は本を読むようになった。プレゼントが楽しみな様子なのだが、それでも読み始めたのは大きな一歩だ

▼妻も筆者も読書を勉強の延長のように捉えて欲しくないと考えている。確かに本を読むことで、多くの知識を得るし、様々な考えに触れられる。ただ「勉強の一助にもなる」から読めという言い方では、子どもにとって苦痛だし、避けて通るようになるのは明白だ

▼本は楽しいもの。子どもの頃に読んだシャーロック・ホームズシリーズやシートン動物記の興奮や感動は今でも忘れられない。本を手放せないのは楽しいからに他ならない。そして読んでみて、合わないと思ったらやめればいい。『読めない』のではなく『読まない』のはいい。必要と思ったった時に読めばいいのだ。ところで本離れは最近の社会的傾向だ。地方でも立派な図書館は多いのだが。(群馬・HM)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら