コラム

2007/12/14

軍師から見る歴史の楽しさ(茨城・KK)


▼今年のNHK大河ドラマ『風林火山』もいよいよ16日で最終回を迎える。この手の歴史小説、時代劇では戦国武将の活躍が一般的だが、今回は武田信玄の軍師・山本勘助が主人公。今までとは違った視点から歴史を垣間見ることができた

▼軍師と言えば、古くは三国志でおなじみの3世紀の中国・蜀の諸葛孔明、秀吉に仕えた竹中半兵衛、石田三成に献身的に尽くした島左近など数多い。皆、陰の存在だが、信長、秀吉そして家康と3人の天下人に一目置かれ、自らも天下獲りの一歩手前まで行った黒田官兵衛のような人物もいる

▼1577年の播磨・福原城攻めの際、官兵衛は城の三方を包囲しながら、わざと一カ所だけ開けておき、少し離れたところに伏兵をしのばせ、開けられた一カ所から敵兵が出てきたところを攻め、勝利を治めている。全てふさいでしまうと、敵は逃げ場を失って「窮鼠」となり、いきおい味方の犠牲も多くなるとの考えからだ

▼「兵は詭道なり」、「調略」ー大河ドラマで山本勘助がしばしば口にした言葉だ。戦はだまし合いという意味。正面からの正攻法の力攻めで多大な犠牲者を出すより、戦わずに勝てるならそれに越したことはない。1578年、竹中半兵衛は備前の宇喜多直家を本領安堵を条件に秀吉に降らせている

▼軍師の多くは「三顧の礼」をもって迎えられている。いわばヘッドハンティングのようなものだ。しかし能力、働きの割に彼らの禄高は意外に低い。譜代の家臣団からの不満を封じるためだろうか。ひょっとして戦国武将たちは軍師に権力と経済力の両方を与えた時の危険性をひそかに恐れていたのかもしれない。(茨城・KK)

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