コラム

2008/01/11

徳川家の良妻ー篤姫と和宮(茨城・KK)


▼今年のNHK大河ドラマ 『 篤姫』が6日、始まった。倒幕軍が江戸城に迫った時、実家の薩摩藩を中心とした新政府軍に働きかけ、無血開城の実現に大きな役割を果たすなど、明治維新の動乱の中、嫁ぎ先である徳川宗家のために力を尽くした。13代将軍徳川家定の正室の物語である

▼14代徳川家茂に嫁した皇女和宮。公武合体運動による政略結婚の犠牲になった悲劇の女性との評価が一般的だが、そう断定するのは早計だ。確かに政争の具とはされたが、結果は和宮にとって幸せな結婚生活だった。彼女の遺言によって、歴代将軍の正室として唯一、夫家茂と同じ芝・増上寺に葬られたほどだ

▼歴史の上では男が主役として語られることが多く、ともすれば女性はその陰に隠れがちだ。しかし、卑弥呼に代表される祭政一致の古代、王朝の女性が注目された平安時代など、時代によっては、むしろ女性が主役を演じていたことは見逃せない。女性が奥に押し込められたのは武家社会に始まる封建制度が確立されてからだ

▼家定への篤姫の輿入れも、時の老中・阿部正弘が雄藩と組んで幕府の権勢を挽回すべく図った政略結婚だった。家定が早世したため、その後は14代家茂の養母として、危惧された和宮との「嫁(公家風)」「姑(武家風)」問題も巧みに処理した

▼戊辰戦争が勃発すると、篤姫と和宮はそれぞれの立場で徳川宗家の存続と新政府軍の江戸総攻撃の中止に尽力した。一部に、2人を実家に返そうという動きもあったが「徳川と命運をともにする」と最後まで婚家に尽くした。江戸を守ったのは西郷隆盛と勝海舟だけの功ではないことを忘れてはならない。(茨城・KK)

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