コラム

2010/03/01

適正に並盛り一丁(新潟・TH)


▼昼食によく行く某牛丼屋チェーン店の並盛は、「ご飯」と「具」のバランスがおかしい。ちゃんと計算して食べなければ、どうしても最後にご飯が残ってしまう。ご飯と一緒に、多少の不満が残りつつも、また足を運ぶのは、当然、価格が安いからだ

▼500円で、牛丼並盛を食べてもまだ缶コーヒーを飲める値段は、たいへんありがたい。近くには、ラーメン屋や定食屋などほかの店もあるのだが、支局から徒歩圏内ではその牛丼屋が最低価格で、昼時にはいつも満席だ

▼たまに牛丼以外、多少でも値段の高いほかの店をお腹が要求する。値段が同じであれば、他のメニューも食べてみたいところだが、その低価格から、どうしても昼食には牛丼が多くなってしまう。価格が品質を上回った結果だ。ご飯と具のバランスには不満だが、多少ご飯のが残ろうとも、その価格からは適正な量なのだろう、誰も声を上げることはない。当然、牛丼屋としても、経営を続ける以上は利益を出す必要があり「このご飯と具のバランスが、牛丼の損益分岐点なのだ」と納得し、備え付けの紅ショウガで、残りのご飯をかきこむ

▼ただ、もし仮に、某牛丼屋チェーン店が、値段を吊り上げ、ご飯と具のバランスを適正にした場合どうなるか、きっと「高い」と感じることだろう。当然、価格を上げれば、客足が遠のくことは目に見えている

▼驚くべきは、すでにその低価格に慣れてしまっていることである。「異常な価格」を「異常と思わない」ことこそが『最も異常』なことだ。もちろん、牛丼屋の話だけをしているのではない。デフレスパイラルの最も怖いところだ。(新潟・HT)

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