コラム

2010/05/28

平城京と古代の都市計画(茨城・KK)


▼「あをによし 奈良の都は 咲く花の薫(にほ)ふがごとく 今盛りなり」―万葉歌人が、その美しい情景を称えた都・平城京が今年、遷都1300年を迎えた。「710(南都)きれいな平城京」年号を語呂合わせで覚えた学生時代が懐かしい

▼平城京の用地は南北が約4・8?、東西が約4・3?の長方形。北端の中央部に平城宮(天皇の住まいである内裏と役人が執務を行う官庁)を配し、京の中央を朱雀大路が南北に貫く。平城宮から見て右側(西)を右京、左側(東)を左京と呼んだ。中国・唐の都の長安を模して作られた、北魏の洛陽をモデルとしたとの諸説がある

▼シルクロードの終着点でもあった平城京。京内には唐や新羅、インドあたりの人も多く見られる国際都市だった。中国や朝鮮半島との交流によって、日本の木造建築技術も発展。柱・梁による軸組構造、継手・仕口によるジョイント工法といった従来からの工法が寺院など仏教建築物を次々に建立するなかで成熟した。世界遺産に登録される東大寺や薬師寺、国宝の春日大社など優れた文化財も多い

▼日本史上初の本格的都城と言われるのは、平城京の先代の藤原京。一辺約5?、ほぼ正方形の都は中国・周の築城理念に基づくとされる。国家を挙げて建設された藤原京だったが、人口増加に伴って汚物やゴミ処理の問題が起き疫病が蔓延、わずか16年で都を平城京に譲った

▼784年、都は平城京から長岡京に移った。当時平城京は人口10万人。大きな川から離れていたため大型船が使えず、食料など物資の大量輸送が困難だった。用水インフラの不便さが致命傷となったようだ。(茨城・KK)

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