コラム

2010/09/22

全体の中の1人(群馬・HM)


▼拙宅のすぐそばでバイパス道路の工事が進んでいる。愛犬と散歩しながら日々進む工事を見ている。周辺には、自然が多く残されており、散歩に出れば必ずキジの声を聞く。バイパス道が完成すれば、キジの姿も減ってしまうかもしれない。この点ではあまりありがたくないことだが

▼道路事業とは、当たり前だが税金を使って行われるもので、そのためより多くの人に対して便利さを提供する。しかしそれは100%ではない。道路が1本通ることによって利益を被る人は多いが、一部の人にとってはデメリットも。特にバイパス工事などは、そういう要素が強い。用地買収がなかなか進まないのもうなずける

▼ではそういう場合、どのように受け止めればいいのか。「建設反対」と言ってしまうのは簡単だが、全員がそれを言い始めたら基盤整備など進まない。その事業が本当に必要で、便利さを感じる人が沢山いるのなら我慢する、というのが公共的な物の考え方だろう

▼最近は自分の権利ばかり主張する人が多い、とよく耳にする。国民の権利、労働者の権利。確かに権利は守られなくてはならないが、権利を持つと同時に持たなければいけない「責任」がどこかに行ってしまってはいないだろうか

▼例えば選挙権が与えられたとする。政治のことはよく分からないが、聞こえがいいことを言っている人に投票しよう、では参政権の責任を果たしているとは言えない。自分の権利よりも、社会や企業の中の1人である責任に目を向けなければならない。バイパスが完成すれば便利になり、関係する地域は経済効果が生まれより活性化するだろう。(群馬・HM)

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