コラム

2010/10/20

「声なき声「を聞く(群馬・HM)


▼先日、群馬県内の自治体で入札談合が行われているとの情報があり、入札が中止になった。一般紙各紙でも取り上げられたものの、「談合があった」とは書くが、「なぜ」という視点はない

▼予定価格があり、落札金額を引き上げられない状態で、談合と言われても違和感は残るが、法律で禁止されている以上は不正行為であり、許されることではない。「繰り返される」と批判的に書かれても仕方がないが、「繰り返される」のであれば、それが「なぜ」なのかを一番に考えなければいけないであろう

▼いつの時代も入札制度改革は永遠のテーマであり、日々その制度が改正されている。「より透明性があり、より適正価格で」との狙いは分かるし、内容も決して間違いではないと推察する。しかし、一方で対処療法的な感じがしないでもない。あるいは「入札」という枠から離れたところで、まったく新しい受注形態を考えてみることも必要と心腹思える。談合を取り除くのではなく、その原因を取り除くこと。それが業界が最も求めていることではあるまいか

▼以前、浅田次郎氏の著作『輪違屋糸里』を読んだ時に印象的な文章があった。子どもが犯罪を犯した時、父親はその子を怒るが、母親は罪を犯さなければならなかった子どもの立場を思い泣くのだと

▼性善説でみるのか性悪説で考えるのかという立場だと思うが、建設業界に対してはぜひ一度、性善説の母親目線で見てほしいと、声を大にして言いたい。もし談合が繰り返されるのならば、それは業界から発せられる救いを求める「声なき声」と感じられてならない。(群馬・HM)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら