コラム

2011/04/02

電気のありがたさ痛感(山梨・OS)

電気のありがたさ痛感

▼東日本大震災による計画停電が山梨県内でも実施されている。当初は東電からの情報が二転三転し混乱を招いた。停電を予定していたものの、思ったほど電力需要が伸びず停電しないことも多い。商店が営業時間を短縮し、鉄道は間引き運転するなど各企業や個人が節電を心がけた結果だ。

▼ただ、実際に停電時間になるまでは実施か否かが分からず、対応を決めかねる状況が続いた。最大でも1回あたり3時間程度の停電。しかし、たかが数時間程度の停電だが、改めて電気がなければ何もできないことを痛感する。

▼先日、筆者の住む街は午後7時から10時までの間停電になった。当然な成り行きだが照明が付かないだけでかなり行動は制限される。暗闇の中でジッとしていることしかできない状況に苛立ってくる。これはかなりな苦痛だ。

▼小さな懐中電灯は用意しておいたがロウソクはない。食事も懐中電灯のわずかな明かりで食べる気にはなれず回復後にした。幸い携帯電話は通じていたので、ワンセグを観た。だが、暗闇では目が疲れ、すぐに止めてしまった。結局何もできず横になり、ひたすら電気の回復を待った。

▼今回の地震では、津波によって原発施設をも破壊され、電力不足が大きな社会問題になった。原発には供給以外に放射能などのリスクも大きいが、それに頼らなければ今日の生活は成り立たないことも確か。近頃は住宅のオール電化も進み電気自動車も開発された。今後も電力需要は高まる一方だろう。原発の安全確保はもちろんだが節電し停電を回避できた時のように、もう一度エネルギーの使い方を見直さなければと痛感した。(山梨・OS)

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