コラム

2011/07/07

父と母について(埼玉・KH)

父と母について

▼「ブルー一色の空に向かって雲を創ろうとしている」―。庭に七輪を置き、もくもくと煙をたてながら蒲焼を焼く父の姿にそんな他愛のない空想が浮かび、頬が緩んだ。上空には、ふわふわとした心地よい風が吹いている。穏やかな南風に乗った蒲焼の甘い香りは空腹の腹をキュンと刺激した。

▼25年前の暑い夏、父は長年勤めた会社を辞め、起業した。トラックを運転し、農家に肥料を運ぶ仕事である。デスクワークの運動不足から肥えていた贅肉は落ち、白い肌は日焼けして真っ黒になった。今では還暦を過ぎ、髪だけは白さを増したが、1日1tの肥料を上げ下げする姿は変わらない。冬の赤城山から吹き付ける空っ風に立ち向かう姿には、粘り強く実直に生きる上州男児の誇りを感じた。

▼まだ幼い頃、父のことがあまり好きではなかった。夜遅くに帰ってきては、「バカヤロー」と母に当たり散らす酒癖の悪い姿を目にしてきたからだ。しかし、会社を辞めて父は変わった。相変わらず大酒飲みではあるのだが、穏やかで優しい顔つきになった。周囲に怒鳴り散らすことも無くなった。

▼創業という一歩間違えば、一家が路頭に迷うかもしれない道に、家族を巻き込んでしまった気遣いがあったのかもしれない。いや、それ以上に、毎日の日々が充実したものになったのではないか。大変だが幸せなのだ。会社を辞めるとき、周囲の反対をよそに一人何も言わなかった母の笑顔も増えた気がする。

▼「お互いを思いやり生きることの大切さ」。家族の温もりがこれだけ沁みる一年もない。「蒲焼食べるぞ」遠くで聞こえる父のがなり声がなぜか心地よく胸に届いた。(埼玉・KH)

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