コラム

2012/06/13

建設業の存在を再認識(群馬・YT)

建設業の役割を再認識

▼今から300年ほど前の江戸時代、江戸の町は今と比べても見劣りしないほどに整備され、100万人以上が生活をしていた。同時代のイギリス、ロンドンの人口が60万人ほどであるということからも、江戸の特異性がうかがい知れる。

▼そんな、当時最大級の巨大都市江戸の主要公共事業といえば、上水道の整備であった。干拓地が多く、井戸を掘っても塩水が出てきてしまうため、徳川家康は天正18年(1590年)から整備を始め、寛永6年(1630年)には総延長67kmにもおよぶ神田上水の整備を完了させており、その後も、玉川上水(総延長85km)や亀有上水など多くの上水の整備を進めた。

▼これらの上水は、1箇所が汚染されてしまうと他の箇所ももれなく汚染されてしまうという欠点があった。しかし、江戸市中に張り巡らされ、長屋にある共同井戸のほぼ全てをカバーしており、神田上水からなる水道井戸だけでも3600戸近くが整備されていたという。

▼それ以外にも新田開発の水源に利用するなど、多岐にわたって活用されており、庶民の生活を支えていただけでなく、井戸端会議の会場となるなど、江戸の長屋文化を成熟させるきっかけともなった。

▼建設業が市民の生活を支え、さらに豊かにさせるという面では今も昔も変わらない。今後も市民生活を豊かにすることはもとより、自然エネルギーや再生エネルギー事業、耐震事業などの自然環境や防災に関わる部分で更に重要な役割を果たしていくことだろう。はるか昔から人々を支え続けた建設業。そこに連なる者の一端として、身を引き締めなければ―と気持ちを新たにしている。(群馬・YT)

厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら