コラム

2012/08/24

試合壊さない判定を求める(茨城・MK)

試合壊さない判定を求める

▼スポーツの試合を見ていて腑に落ちないことはと聞かれ「審判の判定」と答える人は多い。筆者がよく見るフットボール(サッカー)の試合でも、誤審はある。特にゴールやレッドカード(退場宣告)をめぐる判定。ゴールは勝負の行方に直結するし、退場となると不利な条件での戦いが余儀なくされる。

▼フットボール発祥の地であるイギリスの昔の文献によると、初期のころは審判(レフェリー)は存在しなかった。判断が分かれる場面があると両チームのキャプテンが話し合って決めていたという。

▼しかし、徐々に話し合いでは決まらなくなり、第三者(審判)を決めて判定してもらうようになった。レフェリーはスタンドにいて判断していたが、より選手に近い場所で見た方が良いということで、選手と同じピッチに出て判定するようになっという。

▼その審判に最も求めたいことは「判定力」だろう。筆者の基準は「安全」と「公平」。「安全」とは選手をけがから守り、試合のレベルを保つことで、異論を唱える人はいないと思う。問題なのは「公平」だ。片方のチームには許されていたプレーが、もう一方では「退場」。納得しろというのも無理な話だ。

▼上手な審判は「試合を壊さない」という。危険なプレーを予知し未然に防ぐ。ラフプレーには毅然とした態度で臨み、判定には「ブレ」を生じさせない。マネジメントに優れているということだろう。「良い試合」では審判は目立たないともいわれる。ならば、イギリスの初期のころのように審判を無くし、判定は両チームの自己申告で決めれば―という意見があるが、どうだろうか。(茨城・MK)

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