コラム

2012/09/14

遺憾の意はもういらない(茨城・KS)

遺憾の意はもういらない

▼「遺憾の意」ことしの流行語大賞にノミネートされると踏んでいるフレーズだ。竹島や尖閣諸島の領土問題で、首相をはじめ外務大臣、大使などが連発し、最近ニュースで頻繁に飛び交うこの言葉に、日本国民は食傷気味だろう。

▼「遺憾」とは「残念」、「気の毒」といった意だが、何かよくないことが起きた際に、具体的言及を避け、誰のメンツも潰すことなく済ませるために用いるいかにも日本人らしい言葉だ。遠回し、遠慮、曖昧といった日本独特の品格ともいえる。

▼しかし領土問題についてそのような美はいらない。先日、韓国の大統領が侵入して物議を醸した島根県隠岐の島町の竹島は、1905年に明治政府が閣議決定しており、国際法的にも日本の島である。また、度々漁船に扮した中国の不法船で荒れる沖縄県石垣市の尖閣諸島も、日本政府による1885年からの現地調査を経て、1895年に編入しているれっきとした日本領だ。

▼?政治と文化は別?とよく言うが、もはやそうも言えなくなっている。スポーツの祭典オリンピックでは、韓国のサッカー代表選手が竹島の件で愚行をさらした。間もなくして同国の俳優と歌手が、無謀にも泳いで竹島に渡ろうとする始末。一方中国では、中国人経営の日本料理店が襲撃されている。

▼地球に存立する国家ならば、民主主義にのっとって正々堂々と国際司法の審判に委ねようではないか。なぜそれができないのか。自信と証拠がないからに他ならない。そしてただ一つ強調したいのは、こういった根深く厄介な問題を生み出す戦争という過ちを、決して再び引き起こしてはならないということである。(茨城・KS)

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