コラム

2013/11/20

違和感覚える杓子定規思考(群馬・SN)

違和感覚える杓子定規思考


▼休日の買い物の合間に車中でラジオを聞いていた時のこと。テレビのクイズ番組などで何本ものレ

ギュラーを抱えていた元大物司会者がゲスト出演し、JR横浜線踏切で高齢の男性を助けようとして

はねられ亡くなった女性会社員の事故について持論を展開していた。


▼顔が見えないラジオでも持論が徐々にヒートアップしていくのが分かった。元大物司会者は、官房

長官が斎場を訪れ女性の行動をたたえる安倍総理名の感謝状を遺族に贈ったことについても異を唱え

る。


▼「遮断機が下りている踏切への進入は法律違反。救助のためだとしてもルールを破った行為をたた

えることを子供たちにどう説明するのか」と理屈を述べる。さらに「同じ場面に遭遇した場合、危険

でも進入しなければならないと思ってしまう子供がいないか心配だ」「政治的パフォーマンスだ」と

言い立てる。


▼この人は何が言いたいのだろうか。政治家や世の中への不満なのか。無論、遮断機が下りた踏切に

入って良いはずがない。今回の救助に色々な意見があるのも理解できる。しかし、女性が進入したこ

とで仮に自殺しようとしていたのだとしても高齢者は一命を取り留め、助けた側の人は亡くなってし

まったのだ。


▼総理の書状に異を唱える人たちは言葉にこそ出さないものの、何か女性のしたことは正義ではない

と聞こえてしまう。ほかにも異を吐く著名人がいた。なぜ杓子定規でしか物事を捉えられないのか。

川で溺れかけそうな人を見て、たとえ進入禁止・遊泳禁止と掲示されていたとしても助けようと飛び

込むことと本質的に同じではないのか。思慮分別に欠け過ぎる。(群馬・SN)


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