コラム

2018/02/01

明瞭な審査基準を(群馬・AO)

明瞭な審査基準を


▼ウインタースポーツも真っ盛り、いよいよ平昌(ピョンチャン)オリンピック開幕が迫ってきた。しかし、いつも思うのだが、採点競技ほど得点が分かりづらいものはない。疑うわけでははないが、故意に操作していても分からないのではないだろうか


▼短距離走、長距離走、駅伝などの走る競技や、やり投げ、ハンマー投げなど投てき競技は、単純に速い者が、遠くに飛ばした者が勝利を得る。単純だからこそ、一人一人の力に負うところが大きい。それに比べ採点競技は、芸術性や美しさが入るため判断基準が曖昧に見えてしまう。厳然たるルール、採点基準があるのは自明の理なのだが


▼フィギュアスケートで、大いに盛り上がる選手がいるとする。とても優雅にジャンプも転ばず、美しい滑りで会場は興奮のるつぼ。だとしても高得点につながるとは限らない。滑っているときのエッジの使い方、ジャンプの回転不足などいろいろと細かく見ている審査員から点数が入らないのだろう。また予定したプログラムを完璧にこなしても高得点にならないプログラムであったりもする。逆に失敗を重ねていても高得点という場合もある


▼あるオリンピックの体操競技で、10点が多かった記憶がある。採点基準が分析され、それに対応して演技をすれば高得点につながるという証だ。もちろんその演技をすること自体が高いレベルの証拠で、対策を練り、仕上げてきた選手とコーチの血と汗と涙の賜物(たまもの)だ


▼4年間の努力をぶつけるオリンピック。開催国と敵対もしくは友好な国の選手だからといって、えこひいきはないだろうが、そう思われないような明瞭な審査基準はないものか。(群馬・AO)


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