コラム

2018/08/01

VARも人間が主体(茨城・MK)

VARも人間が主体


▼サッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会で最新テクノロジーが注目されていた。ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)、そしてゴール・ライン・テクノロジー(GLT)だ


▼GLTはボールがゴールラインを越えたか否かを判定する。この仕組み、個人的には賛成である。ボールがゴールラインを完全に越えなければゴールと認められないため、テクノロジーで正確に判定されれば文句の付けようがないから


▼ではVARはどうか。VARは遠隔地のスタッフが映像でプレーを確認し、主審に助言を行う。映像が審判をアシスタントする仕組みであり、主審が最終判断を下す。VARの助言は、一目瞭然な誤審や重大な判定見逃しの場合に行われる。しかし、判定が難しいプレー、誤審と思うからこそ判定に異議を唱えるもの。VARによって判定に納得するのだろうか。W杯ではVARによってPK(ペナルティキック)の判定が覆ったことがあった


▼サッカーではハンドの反則判定も難しい。故意だったかどうかが問われるからだ。日本のW杯初戦。相手コロンビアの選手が開始早々ハンドで退場になった。そのハンドが故意だったかは、選手ではなく審判が判断した。ハンドそして退場という判定に選手と観客は納得しただろうか


▼建設産業界でICT施工が取り入れられ、VARの助言のようにモニター室からの操作で作業を行う。しかし最適な施工を判断するのは結局は技術者ではないか。施工もサッカーも判断の主体は技術者(審判)であり、それをはき違えてしまうとおかしくなるのでは。そんなことも考えながらW杯を見ていた。(茨城・MK)


厳選されたコンパクトな記事で
ちょっとリッチな情報収集

建設メールはこちら