コラム

2020/06/27

自分をだませ世界をだませ(埼玉・YM)

自分をだませ世界をだませ


▼最近、だまし絵で有名なM・C・エッシャーの書籍を購入した。だまし絵とは一つの絵から視点の違いで、二通りの見方がある不思議な絵のことだ。エッシャーではないが「婦人と老婆」が有名かもしれない。固まった頭をほぐす練習のはずが、ちょっとした遊び心も相まってすっかり夢中になってしまった


▼だまし絵は見え方が人によって異なる。二通りのうち、どちらが見えるかは、その人の経験や興味によるらしい。脳が一度捉えた風景を、もう一つの風景に切り替えることは容易ではない。あらゆる視点を試行錯誤し、見えないはずの「新しい風景」が見えた時は驚きとともに喜びを味わえる


▼だまし絵にとどまらず、ある事象に対して10人が10通りの捉え方をするように、物の見え方は人それぞれ異なる。操り人形でない限り、人は大人になればなるほど、自分の考えに固執し、他人の意見を聞き入れず、自身の世界観に固執しがちだ。それではいつまで経っても「新しい風景」が見えないまま成長しない


▼同じ事象を捉えて、異なる見解が生じる原因は、それぞれが今まで違った経験を積んできたからだ。結び付けて連想させる経験が違えば、答えも自ずと変わってくる。この点は、だまし絵と同じかもしれない


▼成長と変化が同義だとしたら、社会は常に成長する。自分の世界に固執して成長しなければ、社会から取り残されてしまう。だからこそ、まだ見ぬ「新しい風景」を探し続けなければらない。それを可能にする鍵は、だまし絵と同様、あらゆる視点を試行錯誤し続ける行動にある。さぁ今こそ「自分をだませ、世界をだませ」。(埼玉・YM)

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