コラム

2021/06/24

「無知の知」が大事(埼玉・TK)

「無知の知」が大事


▼恥ずべき話だが、実をいうと「梅雨」というものをいまいち理解できていない。「最近、雨がよく降るな」とぼんやり思っているが、それが梅雨だということに気付いていないということを毎年のように繰り返している。人から言われて初めて「ああ、これが梅雨か」と思い至るのである


▼無論、常識として梅雨という存在は知っている。しかし、よく考えてみれば、これまで「梅雨が来た」という瞬間を意識することがなかった。生まれ育った北海道では梅雨の時期がなかったので、梅雨がいつ始まりいつ終わるのかを曖昧に理解したままで終わっていた。そのため、東京で暮らすようになった今でも梅雨入りの時期がいつなのか、ぴんと来ていないのである


▼これは極端な例だが、常識的な物事にこそ「知っているようで実は知らない」ものが隠されているのではないかと思う。実は間違って理解しているのに、当たり前だと思っているから訂正する機会がなかったことは、意外と多くの人に当てはまる経験なのではないだろうか


▼記者という仕事に就いてから、自分が知った気になっていることがいかに多いかを痛感させられる。取材をして自分では理解した気になっていた事柄も、いざ文章にしてみると他人からすれば全く意味の違うものだったりする。しかし、文章にするまではなかなか自分の無理解に気付けないのだ


▼大事なのは「本当に理解できているか」と自分に疑いを持つことだと考える。「そういえばこれが梅雨か」と人に言って恥をかくような事態に陥る前に、自分の常識を見直す機会を持ってみるべきかもしれない。(埼玉・TK)

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