向山昭山梨県管工事協会会長
・若い人に夢のある協会を
・過当競争の中で切磋琢磨
(社)山梨県管工事協会の向山昭(むこうやま・あきら)会長は、昭和8年11月3日、当時の甲府
市深町、現在の甲府市城東2丁目で生まれた。実家は軍需工場を営んでおり、大変な時期に育ったが
、生活は今考えるとそれほど不自由ではなかったと語る。
インタビューに入った早々「とにかく仕事量が少なく、協会員企業が苦しんでいる。なんとか業界
の景気が回復して公共投資や、民間投資が増えてほしい」と熱意のこもった熱い語り口から始まった
。
子供の頃について伺うと、戦争による空襲を体験したため、当時使っていた身の回り物や、思い出
の品は殆ど戦災で焼失してしまった。また、仮に残った物があったとしても、とにかく着る物や生活
用品を中心とした「物」が軍隊に接収されてしまったことが今でも記憶に残っている。そんな辛い時
期ではあったが、そんな中、他県から山梨に疎開してくる人達との出会いがあったことはとても貴重
な体験だったと語る。
幼少期の頃は、軍人になって2階級特進とか、そういったことが国民全員の夢であった時代。昔は
、末は大臣かという考えが常識とされる世相に育った。1億人の国民が1億兵隊となって、国のため
に戦おうと思っていた。そういった混乱の中で教育を受けた当時を振り返る。
学生時代にはそれほど際立ったことはしてなかったと謙遜するが、ラグビー部に所属し、ポジショ
ンはフルバックとしてチームに貢献した。練習に使っていた場所も、そんなに広くなかったけど、常
にひた向きで一生懸命だった。それ以前はサッカーをやっていた。サッカー部からラグビー部に移っ
たのは、サッカーの試合中に向山氏の動きを見たラグビー部の先輩から直々、「そのキック力が欲し
い」と声をかけられたことだったと言う。また、ここでは先輩後輩の上下関係に従順することと、先
輩には必ず挨拶をするということを学び欠かさなかったと、当時の青春時代を懐かしんだ。
また、20代の頃は、盆栽や浪花節を習ったほか、講談にも興味を示すなど多彩な趣味を楽しんでい
た。今は若い頃ほどではないが、人よりも先にモノを覚えないと気に入らなかったことから、着るモ
ノ、身につけるモノにしても流行の先端を行く東京で買い物を楽しむなど、ファッションにしてもか
なりのお洒落で敏感だったそうだ。そんな時代もあったと回顧する。
この業界に係るきっかけとなったのは、新聞広告で甲府市水道局への職員採用試験の広告を見たの
が最初。入局後は市民のライフラインを担う重要な業務に従事した。同局に勤めている頃は、勤務の
傍ら同氏の人望もあってか町内では自治会長を務め、多方面に活躍した。その当時を振り返って、「
この頃はとにかく若かったので一生懸命に何でもこなすよう努力した時期だった」と語る。
業界の現状については、例えば、これから発展していく産業として、ライブドアや楽天などの業界
が持て囃されているが、しかし、我々の携わっている仕事も毎日の生活に密着したライフラインであ
る水道工事・給排水・冷暖房などの専門工事業ですから地味では有るが将来性はあるのです。公共工
事等の仕事量が減少し、過当競争の中で今は大変厳しいが、切磋琢磨して働き甲斐のある、将来のあ
る、発展する業界にしなければなりません。 協会活動としては、空調設備などにおいての分離発注
の推進が中心となっています。本体工事があって、私達の仕事は附帯工事にあたる中で、別途発注さ
れるかどうかが私たち業界の生命線であると考えております。当然それに対応できる企業力をつける
という努力をしていかなくてはいけません。そのため協会では、勉強する場を迅速かつ積極的に作っ
て各種講習会を開催し、時代の急激な変化にも対応できるよう企業力向上の努力を呼びかけています
。そのことが協会の大きな役目であると考えています。
また、後継者についての話になると、会長の表情が一段と引き締まった。「かつて3Kと言われた
特殊な職場だが、日常生活に欠かせない設備の重要性を認識し、この業界において、この仕事をして
みたい、そういった夢や志をもって入ってきてくれる若い人に、なんとか楽しく、そして夢を持って
仕事をしてもらえるような業界にするための協会運営をしていきたい。そのために我々が頑張って苦
難の時代を乗り越えたい」と決意を新たにした。
尊敬している人物は、戦後5次において内閣総理大臣を務めた吉田茂氏、尾張の戦国武将・織田信
長、そして江戸幕府を開いた武将・徳川家康の3名を挙げた。このうちの吉田茂氏については、昭和
戦後の混乱から日本が国際社会に復帰するまでの日本の基礎を造るという大仕事をされた人物で、物
事の筋道を築いたことに強い印象と共感を持っている。
趣味は、親しい人たちと囲碁に興じることのほか、好きな仲間と集って行うゴルフ。好きなゴルフ
についても、現在のところ仕事に没頭する日々でなかなかプレイをする時間も取れないそうだが、ゴ
ルフ場は景色も良く涼しい環境にあり、心身ともにリフレッシュできるのだという。こういった場所
ではネクタイを外し、普段着での話し合いができ、互いの理解を深める場として親睦が図れる。会長
自身、いいショットをした所を人に見せる瞬間は純真な子供の頃に返ることができるんですと、表情
をほころばせながら話す。
引退したら何をしますかとの問いには、「これから始めようということはない。やはり趣味のゴル
フをしながら、それに通じた仲間を大切にしていきたい。今では昔と違って安価でゴルフができるよ
うになったため、月に1度ぐらいのペースで、体が弱くなったりしたらゴルフができなくなるのがと
ても心配だと感じているそうだが、子供に迷惑が掛からない程度に楽しみたい」と笑顔で語った。
【略歴】
▼昭和8年11月3日生まれ。
▼昭和26年3月31日 山梨県立甲府工業高等学校卒業
▼昭和28年4月1日 甲府市水道局入局
▼昭和39年3月31日 甲府市水道局退局
▼昭和54年4月1日 山梨県設備工業協同組合理事長
▼昭和57年4月1日 山梨県消防設備組合副会長
▼昭和57年4月1日 甲府市管工事組合理事長
▼平成3年4月1日 ?米山実業入社
▼平成11年4月1日 山梨県管設備工業会相談役
▼平成16年4月1日 山梨県建築設備組合理事長
▼平成16年4月1日 (社)山梨県管工事協会会長就任