インタビュー

2012/05/15

日本ミャンマー協会 渡邉秀央会長

 昨年12月、ミャンマー総合研究所と日本ミャンマー友好交流協会が発展的に解消して「日本ミャン

マー協会」が設立された。会長には同研究所の理事長だった渡邉秀央氏(77)が選任された。渡邉氏は

テイン・セイン大統領と十数年来の知己。ミャンマーを訪問した時、ヤンゴン近郊にあるティラワ経

済特区(SEZ)開発の事業計画書を、大統領自らが同氏に渡したというほどの仲だ。外資誘致を促進

するため大きく変わろうとするミャンマーに、協会として今後、どのような支援、協力を考えている

のか、インタビューした。

 ―テイン・セイン大統領とはいつ頃、出会ったのですか。

 渡邉 1996年頃、ミャンマー政府が東部のシャン州に病院を建設するというので、私が郵政大

臣の時に開始した郵政省のボランティア貯金を使って支援するために訪れた。その時のシャン州軍司

令官が今のテイン・セイン大統領だった。40歳代の若さであった。


 ―渡邉会長がミャンマーを訪問された時、ティラワ経済特区開発についてテイン・セイン大統領自

ら事業計画書を手渡されたそうですね。

 渡邉 昨年10月18日から24日までの日程で、日本・ミャンマー友好議員連盟の最高顧問として、ミ

ャンマーの首都ネピドーを訪問した時、大統領に食事を誘われ、その時に突然、事業計画書を手渡さ

れた。日本に対する期待と信頼があったからだと思う。大統領は私にティラワを視察して欲しいと言

われたので、翌日早朝、ミャンマー日本大使館員2人を連れ立って現地を視察した。予想以上にいい

ところだった。

 日本に帰国後、野田総理にこの話を伝えるために玄葉外相と会い、ティラワ開発について説明をし

た。「早く取り組んで欲しい」と要請したら、すぐに対応してくれ、その年の12月25、26の2日間、

ミャンマーを訪問し、外相会談やスーチー女史との会談も実現させてくれた。枝野経産相にも会い、

この話をしたら、翌年(2012年)の1月12、13日にミャンマーを訪問し、ミャンマー政府に資源開

発やインフラ整備の協力の再開を伝えてくれた。外務省、経産省とも素早い対応で大変ありがたかっ

た。


 ―ティラワ経済特区の開発は日本が主体となって進めるのですか。

 渡邉 いや違う。ミャンマー政府が主体となって進めるべきだ。日本がそれに協力するという形が

いい。開発面積は2700?、東京の港、中央、千代田の3区を合わせたくらいの広さだ。開発する

には申し分のないところだ。特区内には大規模な工業団地を造る計画があるほか、変電所、上下水道、

道路、港湾、情報通信網などインフラを整備する。日本企業だけでなく中国、韓国、シンガポール、

欧米の外国企業にも開放する。ミャンマー政府が土地を提供し、周辺のインフラは日本が整備する方

向で考えている。ミャンマーという国を理解し、互いが信頼し合う関係を築き上げていけばミャン

マー国の発展に寄与できると思っている。


 ―そのためにはミャンマーと日本企業が合弁会社を設立してティラワを開発すると聞いていますが。

 渡邉 合弁会社設立については私が提案したもので、テイン・セイン大統領も日本政府もほぼ了承

している。ミャンマーが51%、日本が49%を出資する。民間資金を投入し、日本政府がバックアップ

する。政府開発援助(ОDA)だと事業を始めるまでに時間がかかるので、民間資金を活用して開発す

ることになると思う。

 ティラワに経済特区が整備されれば、ここが経済の拠点となりミャンマー経済は上昇すると期待さ

れている。経済特区と一体的に整備されるティラワ港は、大型貨物船が寄港できる重要な港湾として

機能を持たせ、インドや中東にも航行できるようにする。既存のバースがすでにあるが、需要増が予

想されることから、新たなバースを建設する方向になろう。


 ―日本ミャンマー協会として、今後どのような支援、協力を考えていますか。

渡邉 日本とミャンマーの潤滑油になって、お互いの信頼感をさらに築き上げられるような努力をし

たい。もう1つは、ティラワ経済特区内に農業研究所をはじめ人材派遣や職能技能教育、将来は高度

先端技術の研究所施設を充実させ、人材育成に寄与したい。単に建物を建てるだけでなく、人材育成

ができるようなシステムづくりに力を入れ、これまで以上、ミャンマーに貢献したいと思っている。


【渡邉氏のプロフィール】

 第3次中曽根内閣の官房副長官、宮澤内閣の郵政相を歴任した。衆議院議員を6期、参議院議員2

期務めた大ベテランの元政治家。2008年8月に民主党を離党し、改革クラブを結成し、代表に就

任。2010年4月に党名を新党改革(党首・舛添要一氏)に変更し、最高顧問に。同年7月の第22回

参議院議員通常選挙へは出馬せず、事実上、政界から引退し、現在に至る。官房副長官の時、中曽根

首相から特命を受けて、日本とミャンマーの国交正常化に向けて初めてミャンマー入りしたのが政治

家として初めてだった。それ以来、ミャンマーとの交流を続け、ミャンマーの民主化にも力を注いだ。




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